販売網に支えられてきた
本田の商法とネーダーに刺激されて結成されたユーザー・ユニオンの活躍が、問題を大きくさせました。
本田の発展は、優秀な小型エンジンにもとつく二輪車の量産体制の確立もさることながら、自転車屋さんを系列化した販売網に支えられてきた。
中古車検索によると本田は、42年この販売網の卸しであった代理店制度を廃止し、代理店の中間マージンを本社で吸収するとともに、その生産計画にみあった販売計画を直接小売店(サブ・ディーラー)に割りつけました。
いわば需要があって生産するのではなく、生産があって需要をつくりだし、小売店はそのパイプとなったのです。